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眼瞼下垂症手術と私(6)

再び眼瞼下垂の手術をたくさんするようになったのは、城北病院に勤務してしばらく経ってからでした。当時、京都桂病院の形成外科部長をされていた前述の寺島先生が退職されることになりました。
寺島先生はそのころ同時に、週1回城北病院の月曜夜の外来も担当され、また月に1~2回、京都専売病院(現・東山武田病院)眼科で瞼の手術なども担当されていましたが、それも同時にお辞めになりました。

そこで、専売病院の眼科の先生から、その後任として私に瞼の手術の依頼があったのです。大変優れた術者でもあり、私の先輩で手術も基礎から教えていただいた先生の後任ということで、かなり迷ったのですが、寺島先生の『あなたは手術はできるんだから、後は経験を積み重ねていくだけ』との言葉に後押しされて、お引き受けすることにしました。

専売病院では、眼科の先生があらかじめセレクトしておいた患者さんをまとめて月に1~2回手術するという形をとっていました。
最初の患者さんは、半年前に片方の瞼を新井先生(現・城北病院)が手術され、大変きれいに上がったと喜んでおられた男性でした。それで今回、その反対側を手術することになったのですが、私としてはそれは結構なプレッシャーでした。幸い私が担当した側もうまく行き、その後担当した多くの患者さんの手術も眼科の先生に「100%うまくいっていますね!」といっていただける成績だったので、次第に私も『眼瞼下垂の手術は得意分野」と言えるだけの自信を付けていくことができました。

そのころから、京都市内の眼科の先生方から眼瞼下垂の患者さんを紹介いただけるようになり、また口コミで遠方から診察にこられる患者さんも増えてきました。
城北病院では私の外来はニキビの患者さんが大変多かったのですが、その間に瞼の診察が入ると、瞼の悩みの患者さんの診察には大変時間がかかるため、診察の待ち時間が非常に延びて、夜8時に受付終了しても終わるのは午後10時過ぎということが多くなりました。

そこで、比較的患者さんの少ない火曜日に「まぶた外来」を開設してもらい、専売病院とあわせて毎月10名ほどの患者さんをコンスタントに手術できる体制になりました。

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