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眼瞼下垂症手術と私(2)

当時、眼科での白内障の手術後に発生する後天的な眼瞼下垂が問題となっていて、眼科の患者さんが非常に多かった県立尼崎病院ではそうした患者さんが次々と形成外科に紹介されてきていました。
私たちは、こうした単純に老人性とは言い切れない、術後を含めた後天性眼瞼下垂の原因究明が必要と考え、そうした患者さんを積極的に受け入れて手術を行っていました。
(当時は、教科書的には眼瞼下垂は先天性と老人性、外傷性ぐらいしか分類されていませんでした。)

私の学会発表デビューも、眼瞼下垂症患者の眼瞼挙筋を先天性と後天性に分けて組織学的検討を行う、というテーマでした。
先天性の眼瞼下垂症患者の眼瞼挙筋は筋肉組織がほとんどなく脂肪に置き換わっているという発表をしたのですが、そんなことも当時はまだあまりよく分かっていませんでした。

また、寺島先生が、その年の形成外科学会総会で「眼瞼下垂手術」の教育ビデオを発表される関係で、県立尼崎病院ではほとんどすべての眼瞼下垂手術のビデオ録画を行っていました。

私は初めのうち、上の2人の先生が執刀する手術を克明に録画するビデオ係でした。これは非常にラッキーなことでした。

研修医は通常、上の先生についていわゆる「介助」を行うわけですが、介助係の役割は執刀医がやりやすいように周囲に気を配って血を拭いたり皮膚を引っ張ったりすることですから、先輩の手術する手元ををはじめから終わりまでずっと見やすい位置で見ているなんてことは許されません。
何をしているのかよく見ようとして首を伸ばせば、術者の手元を照らすライトをさえぎったりして邪魔になるので怒られてしまうのが普通です。

ところが、私の役目は手術のやり方を説明するためのビデオを撮影する係ですから、直接手を出すことはできませんが、手術のやり方が最もよく見える位置に陣取って、逆に「先生、手が邪魔で見えません」などといって術者の手をどけてもらうことだってできるのです。
40例ほどだったでしょうか、繰り返し繰り返し、先天性・後天性を含めてさまざまな患者さんの手術をはじめから終わりまでじっくりと見ることができました。

また後日、これらを編集して「手術のキモ」の部分を繋ぎ合わせる際にも、自分で撮影したビデオを繰り返し飽きるほどみることになりました。これは未熟な研修医であった私にとって本当に貴重な財産となりました。

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