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私はなぜマカーになったのか: Macintoshに出会うまで(2)

 東芝のDynaBookSS001は、衝撃的なコンピュータだった。

 当時のパソコンは、デスクトップかラップトップ。デスクトップは本体の上に鎮座するモニタがブラウン管だから、当然持ち歩ける大きさではない。持ち歩ける大きさとしてのラップトップは、しかし、重さも5キロ以上は優にあって、本当に膝に乗せたらラップクラッシャーといわれるようなものであったからだ。
 ラップトップは価格も先に書いたように、安いものでも数十万円。東芝の真っ赤なプラズマのモニタ画面は魅力的ではあったが、主に企業向けであって個人で気軽に買えるようなものではなかった。

 そこに、重さ3キロのノートタイプのパソコンが198,000円で登場したのだから、飛びついた人は多かったと思う。もちろんフロッピーベースで、ハードディスクは内蔵されていない。しかし、メモリが1.5MBと、当時のMS-DOSのメモリ管理の制限640KBより多く、余った部分をスワップメモリやRAMディスクとして使うことができた。

 当然買ったわけですよ、ええ。

 当時パソコンを買った人の多くが、パソコンを「高機能なワープロ」として捉えていたのだろうと思う。モノクロ画面で画像処理機能は貧弱で、スキャナもとんでもなく高く(私が最初に買ったスキャナは40万円以上した)、表計算ソフトは未発達で、インターネットどころか通信機能もなくて、データベースといっても住所録ぐらいしか思いつかないなら、パソコンでできることは年賀状印刷と簡単な文書作成ぐらいしかない。実際、雑誌のパソコン特集もほとんど「年賀状と住所録」の作り方ばかりだった。

 だから、私が「ワープロソフトは持っていない」というと、周囲の人々はパソコンを何に使うのかと訝った。だが私にしてみれば、すでにワープロは専用機を持っているのである。ワープロではできないことをするためにパソコンを買ったのだから、パソコンにワープロソフトは不要だというのが持論だった。何しろパソコンに繋げるプリンタすら持っていないのだ。(ほらほら、こういうやつなんです、私は)

 では私はパソコンで何をしていたか。すでにソフトとハードの本を山のように読んで、当時一丁前のパソコンお宅と化していた私は、パソコンをいじること自体が楽しかった。文章はエディタで書けばいいし、印刷するならワープロ専用機にデータを移せばいい。それよりも、システムをカスタマイズして本来の仕様にないことをさせたり、巨大なバッチファイルを組んでデータ整理を自動化したり、といったことにはまっていたのであった。

 え?Macはどこに出てくるのかって? いや、この段階では、私にはマックは高嶺の花でして、知ってはいたが買えない存在でした。Macintoshは、グラフィックや音楽や出版などのプロフェッショナルが使うものだと思っていました。最初のMacが、Rest of USのための知的自転車として企画されたなんてことも知りませんでした。様々なすばらしいゲームがMac用に作られていて、ゲームをやるためにMacを買う人がいたり、なんてことも知らなかったのです。ごめんなさい。

 私がMacを買えるようになるのは、医者になって3年目、ようやく安定した給料がもらえるようになってからだった。本体にモノクロモニタが内蔵され、中を開けようとすれば特殊工具が必要な、ブラックボックスのような存在だったMacが、セパレートタイプになり、カラーが標準的に扱えるようになったⅡシリーズが発売され、そしてついに本体価格が100万円を切った。

 私は、Ⅱciを本体68万円、その他Photoshopやらフィルムスキャナやらカラープリンタやらもろもろ合わせて130万円ほどで買い(もちろんローン)、ようやくマカーに成れたのであった。

 

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