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2009年6月

耳の形成外科(6): 柔道耳、レスラー耳

継続して何回も耳を打撲したり、あるいは軟骨が断裂するほど強く打ち付けたりした場合、単に耳の内部に出血するだけでなく軟骨も変形し、潰れたギョウザのような異様な形に固まってしまうことがあります。

たまった血液はいずれ吸収されてしまいますが、断裂した軟骨から移動してきた軟骨細胞や、血腫の中に混じっている各種の幹細胞などが増殖して、変形した形に合わせて軟骨や傷痕の組織(瘢痕)をつくり、ごつごつと硬い塊になるわけです。

こうした耳の手術をする場合は、まずもとの耳がどういう形であったのかを想像し、その耳の形に合わせて耳の縁に当たる部分に切開を入れて一旦軟骨から皮膚を剥がします。そうしておいて、塊の中から再建に使えそうな軟骨部分を切り出して、糸で縫い合わせながら耳の形を組み立てていきます。

場合によっては軟骨が粉々、ばらばらに壊れていて耳のフレームとして使えないことも少なくありません。そんなときは耳甲介という耳の穴に近い部分や反対側の耳から使えそうな軟骨をデザインして切り取り、それと組み合わせます。どうしても耳からだけでは材料が不足する場合は、肋軟骨や鼻中隔軟骨など他の場所から軟骨を採取することも考えますが、他の場所から取った軟骨は耳の軟骨に比べて弾力に乏しくもろいため、できる限り耳の内部での移植に留めています。

この手術は時間もかかり技術も要するので、本来であれば小耳症手術と同程度の手術料であるべきだとも思うのですが、現在のところ通常の耳介形成手術として保険で行っています。(軟骨移植が必要な場合は、その費用も算定しますが、合わせて片耳4~5万円程度で収まると思います)

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耳の形成外科(5): 耳介血腫と耳介偽嚢腫

事故やスポーツなどで耳を打撲すると、耳の軟骨の中に出血し、血が溜まって耳が変形してくることがあります。時には特にそれといった怪我の記憶がなくても、ごく軽い刺激で起こることもあるようです。

この段階であれば、溜まった血を抜き、耳を圧迫していれば元に戻ることがありますが、圧迫の期間が短かったり不適切な処置を受けていたりすると、変形が固定化してきます。
圧迫してくっつくことが期待できるのは、出血が始まってせいぜい数日の間で、その間に何もしないと出血は止まったとしても空洞の中に様々な細胞が遊走してきて袋を作り、黄色く透明なリンパ液が溜まる「偽嚢腫」に変わって行きます。

また、繰り返す出血により内部に溜まった血液が「基質化」して軟骨状になり、いわゆる柔道耳になってしまうこともあります。(柔道耳については別に書きます)

耳介軟骨は、1枚の板でできているように思えますが、実際には出血するのは表と裏の2枚の軟骨の間です。ちょうどサンドイッチの2枚のパンの間にたっぷり具を挟んだように膨らみ、内部に溜まった液体の圧力で更に広範囲まで剥がれて広がります。ですから、血を抜いたらすぐに表と裏の両側から2枚の軟骨を挟みこんで密着するようにくっつけておかないと、いつまでたっても軟骨は1枚に戻りません。通常は「ボルスター固定」といって、綿花やスポンジなどを両面から縫い付けてキルティングします。固定期間は最低でも2週間は必要で、通常の抜糸のつもりで1週間で縫いつけた糸を切ってしまうと、また再発することもあります。

「耳鼻科にいったら、しばらく強くつまんで圧迫しろといわれた」などという患者さんに出会ったことがありますが、いくらなんでも2週間指でつまんでいるのは不可能ですから、そのお医者さんは事の重大さをご存じなかったのだろうと思います。

時機を失した場合や出血が続く場合は、切開手術が必要となります。目立たないように耳の縁から切開し、まず2枚の軟骨をきれいに剥がします。出血点が見つかれば電気メスなどで丁寧に止血します。通常、そのまま2枚を合わせてもくっつかないので、両方の軟骨表面を軽く傷つけて癒着させるようにしますが、うまくいかない場合には表側の半分を切除してしまうこともあります。軟骨はやや薄くなりますが、耳が変形することはありません。

これはすでに内張りの袋ができて「偽嚢腫」となった場合も同じです。偽嚢腫の場合は袋の組織を完全に取り除かないと再発しやすいので、軟骨の切除を考えたほうが確実かもしれません。いずれも、ボルスター固定を行い完全にくっつくまで糸を外さないようにします。

変形が固定化していない場合は、この手術で完全に耳の形は元に戻ります。傷痕もまず見た目にはわかりません。放置せずにできるだけ早く処置を受けることが大切です。

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耳の形成外科(4): 立ち耳の手術

ミッキーマウスのように左右に張り出した大きな立ち耳は、欧米では悪魔の耳、動物の耳として嫌われます。したがって、耳を寝かせる手術は、私がドイツ留学中も毎週のように行われるありふれた手術でした。手術の予定表にOtapostasisと書かれているのがそれで、私も自分の普段行っている手術とどの辺が違うのか知りたくてよく覗きに行きました。

立ち耳は、アジア世界ではむしろ、愛嬌がある、可愛らしい耳として愛される傾向があり、強制的に寝かせる手術はそれほど多くは行われません。私も留学前は、左右の立ち方に差がある患者さんの片方の耳を反対側に揃える手術をするぐらいで、あまり立ち耳の手術を積極的には行っていませんでした。留学中に仲良くなったトルコ人の看護師さんは、
「ドイツ人は何でも箱に詰めたように真四角にしたがる。耳まで頭蓋骨にくっつくほどぺちゃんこにする」
と少々嫌そうにしていました。

しかし、最近では日本人の感覚もだんだん欧米化してきたのか、立ち耳の手術を希望される方が増えてきました。立ち耳は確かに耳の軟骨の形の異常ではありますが、上記のように長い間伝統的に日本文化の中で許容されてきたために、まだ「健康保険の適応手術」とは見なされておらず、そうした手術の費用も定められてはいません。したがって、大江橋クリニックでも現時点では(大きく左右差があって異様な感じがする場合等を除き)自費で手術を行っています。

耳は大雑把に言って、斜め後方45度ぐらいの角度に寝ているのがよいとされています。この角度に寝かせるためには、耳の付け根のところを切開してまず邪魔をしている組織を切除し、軟骨も軽く切開を入れて癖をつけます。切らない手術と称してこの段階を省き、糸をかけて引き寄せるだけの手術を行う所もあるようですが、耳の軟骨は非常に強い復元性と弾力があるため、糸だけで引き寄せた耳は糸が切れれば元に戻ってしまいます。ナイロン糸は丈夫なのでなかなか切れないとはいえ、糸が切れなければ今度は軟骨のほうが徐々に裂けますから、結局糸をかけただけの手術は永続性がないといえます。(これは重瞼の埋没法と似ています)

耳の後の組織を切除した上で糸を頭蓋骨の骨膜と耳の軟骨膜にかけ、二つの硬い膜を密着させて固定します。こうしておけば、いずれ膜の間に瘢痕組織ができて固まり、糸が切れても元に戻ることはなくなります。

立ち耳の場合、単に耳が起きているだけでなく、軟骨の折り込まれかたも少なく、平らに伸びていることが多いので、これを整えるには軟骨の表面に、曲げたい方向に合わせて軽くメスを入れていきます。通常は「対耳輪」と呼ばれるY字型の山脈を作っていくのですが、この際には、耳介軟骨は浅く切開すると切開したほうを凸にして膨らむ、という性質を利用します。これだけでもよいのですが、より確実にはできた形を固定するために、重要なポイントを何箇所かナイロン糸で結び合わせていきます。

軟骨が「露出していれば」これはそれほど難しい作業ではありません。しかし、実際には耳の軟骨は皮膚に覆われているので、切開する前に皮膚と軟骨を剥がさなければならないことになり、これをどの程度、どのような皮膚切開から行うかが結果を左右します。
以前は皮膚切開は耳の裏側だけにとどめ、そこからみかんの皮をむくように皮膚を軟骨から全部剥がしてしまっていましたが、この方法だと形はきちんと作れるものの、腫れが長引き出血の危険も大きいので、最近では耳の表面の目立たない部分も切開して、なるべく侵襲の小さい手術を心がけています。

耳が頭蓋骨につくほどぺったりと寝かせてしまうヨーロッパ式の手術はむしろ簡単で、斜め45度の微妙な角度をうまく作り出して不自然さをなくすところにこの手術の難しさがあります。一度の手術では左右がきれいに揃わないことも残念ながら皆無ではありません。そうした場合は再手術の時期をご相談しながら、できる限りご希望に近づけるように努力しています。

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耳の形成外科: 小耳症(3)永田先生のこと

小耳症の話をするとき、永田先生の手術を避けては通れないでしょう。永田先生の創る耳は、本当にきれいな形で、細部までよく考えられた立派な作品です。
永田先生の軟骨フレームは耳たぶや耳珠まで丁寧に彫刻されており、芸術作品といってもよいくらいです。その手術も、耳起こしまで含めて大変見事なものです。しかし…

その考え方は、私が最初に習った一色先生の耳つくりとは対極にあるような気がします。うまくいえないのですが、あえてこんな言い方をしてみました。
「確かに耳はすばらしくよくできている。耳を創る手術なのだから、耳が美しく出来上がっていることが一番重要で、そうした意味では最高点を付けてもよい。だが、耳にこだわりすぎるあまり、全体のバランスを見失ってはいないか。耳のためにこれだけの大掛かりな手術を行うことが果たして無条件でよいことなのか。耳は確かに人の見た目にとって必要なものではあるが、考えようによっては、たかが耳ではないか」

永田先生とお会いしたことは一度しかありません。ドイツ留学中に出席したヨーロッパ形成外科学会で招待講演をされたときのことだったと思います。講演自体非常に質の高いものでしたし、質疑応答のとき間違いがあってはいけないとのご配慮からか通訳を付けて日本語で受け答えされていたのも、潔い態度だと感心しました。
そのとき永田先生が「もう僕は日本の学界に未練はない。日本の学界は見捨てた」とおっしゃっていたのをよく覚えています。

ではなぜ、海外でも高い評価を受けている永田先生の手術が、なかなか日本では評価されなかったのか。(もちろん現在ではそんなことはないのでしょうが)

一つには、永田先生が並み居る日本の「小耳症の大家」たちの手術を「永田の手術の足元にも及ばないもの」と切って捨てたからでしょう。新しい術式が考え出されるときは、既存の術式の欠点を除き、より完成度の高いものをめざす訳ですから、こうした「高慢さ」はある程度許されるべきだし、また自分が世界一と思わなければ競争の激しい世界では生き残れないのも事実です。ですが、永田先生の手術が彼の意に反して高い評価を受けなかったのは、永田先生ご自信が嘆いておられたように彼が日本の学界に理解されなかった、のではなく、実は彼が「日本における標準的な小耳症手術の考え方」を理解できなかったからではないでしょうか。

永田先生の手術が欧米で高い評価を受けるのも当然なら、日本で苦労なさったのも当然だと私には思えます。日本の文化においては、耳の形のバリエーションには寛容で、耳は完全な形であることを要求されません。(それが、立ち耳もスタール耳も悪魔の耳といって忌み嫌う欧米との文化的な違いです)

日本ではむしろ「たかが耳」のために体の他の部位を傷つけることには消極的で、もしやむを得ないならできるだけ簡素で侵襲の小さい形で行うべきだとする考え方が主流なのではないでしょうか。(これは他の部分の再建や美容手術にも通ずることです)

もちろん、不完全な手術を受けてそのせいで悩んでおられる方にとっては永田先生は神様のような存在でしょうし、彼のような「耳つくりの職人」の存在こそが、小耳症の手術を発展させるためには必要不可欠であることは確かです。

しかし、彼が日本で長い間不遇であったのは、学会の重鎮たちが不当に彼の業績を無視したからではなく、彼が日本の長い間の伝統的な文化になじめなかったのではないか、という方向から、考察を加えてみました。

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耳の形成外科: 小耳症の手術(2)

小耳症の手術は、肋軟骨フレームを移植して終わりではありません。フレームと皮膚が十分なじんだ頃に、通常は耳起こしとよばれる手術を行います。

頭蓋骨に張り付いたようになっている耳を起こして、耳の裏側を作ってやるわけです。当然そこにはあるべき皮膚が存在しないわけなので、周囲の皮膚を動かして皮弁という方法で塞いだり、足りない部分を植皮する必要があります。(最近ではこの2段階手術を避けるため、最初に軟骨を入れる部分を袋状に膨らませておく手術も行われていますが、これはこれでまた、皮膚がちょうどよく伸びるまで数ヶ月の時間がかかります)

中には耳に当たる部分にも髪の毛が生えているために、作った耳に毛が生えて困る、といった方もいて、脱毛処理が必要になったり、軟骨や皮膚のつなぎ目の一部がトラブルを起こして小さな修理が必要になったりと、やはりどんなに上手な先生が作った耳でも、神様が作った自然な耳にはかないません。

また肋軟骨は、耳の軟骨とは性質が違い、硬くてもろく、継続的な力が加わると変形したり吸収されてしまうという欠点もあります。そのため、自然な耳よりもしっかりと分厚いフレームが必要になり、やや肉厚で硬い耳になってしまいます。これを避けるには、やはり肋軟骨ではなく耳の軟骨を使うほうがいいのですが、まだ日本では「他人から軟骨を貰う」同種移植は普及していません。

幸い耳介軟骨は移植に際して免疫反応が起こりにくく、他人の軟骨でもちゃんと自分の耳のフレームになってくれます。生体からの耳介軟骨移植では、小耳症ではありませんが冨士森先生が母親から子供への移植を以前から成功させておられ、長期にわたって安定的に生着することを学会でも発表されています。(…発表したのは、当時冨士森先生のところに在籍していた私なので、よく覚えています…)

シリコンなどの人工物では不安が伴う以上、自分の「幹細胞」で軟骨が思い通りの形に作れるようになるまでは、死体からの耳介軟骨移植などを移植医療としてもっと普及させてもいいのではないかと思うこのごろです。

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耳の形成外科: 小耳症の手術(1)

最初に小耳症の手術に入ったのは、研修医1年目、京大の形成外科に所属していた頃のことでした。執刀医は一色先生で、耳つくりに使う肋軟骨の採取を、伊波先生(現:クリニカいなみ)と一緒にやらせてもらったように記憶しています。

京大形成外科は、昭和52年に当時二つに分かれていた「耳鼻科形成」と「皮膚科形成」が一緒になって誕生した教室で、初代教授は耳鼻科出身の一色先生(現:一色クリニック)でしたから、当然耳や鼻の手術を受ける患者さんが非常に多く、当時の西日本の小耳症の患者さんの大部分が京大に集まってきたのではないかと思えるほど、耳の手術は次から次にありました。

小耳症とはご存知の方も多いと思いますが、片方の耳が極端に小さい状態を言います。場合によっては痕跡的で耳の穴もないような重症な患者さんもいます。一色先生の耳作りは当時から有名でしたが、その特徴を一言で言えば、肋軟骨から作る耳のフレームが簡素なことではないでしょうか。

それは、言葉を換えれば、採取する肋軟骨の量が少なくて済み、手術時間も短く、患者さんへの侵襲が小さいということでもあるように思います。現在はより多くの軟骨を取れるだけとって、組み合わせて細かい部分まで作りこんだ軟骨フレームがはやっているようですが、それに要する時間や患者さんへの負担を考えると、どちらがよいかはなかなか難しい問題だと思います。

肋軟骨を採取してフレームを作るには、耳の大きさがある程度大人に近づき、軟骨がまだ大人の様には固くなっていない、若い患者さんが最適なのですが、その時期のお子さんは非常にセンシティブでもあり、耳のためにどの程度体のほかの部分に負担をかけるかについては、単に手術のしやすさだけでなく、精神的な要素やその患者さんの生活歴なども考える必要があります。

それを考えると、今では廃れてしまった、シリコンの耳、というのも、体のほかの部分に傷を付けずに済むという点では、本当はなかなか捨てがたい優れた方法であるように思います。ただ、シリコンに限らず人工物は、何年たっても結局人体にとっては異物であり、何か事故があれば感染を起こして取り出さなければならない、という欠点を抱えています。

では、なぜ鼻に関してはシリコンが生き残り、多くの美容外科で今も使われているのでしょうか。
鼻に使われるプロテーゼは、形が非常にシンプルです。この辺に、耳のフレームをシリコンで作る際の工夫の余地がありそうに思います。それはまた、一色先生のシンプルな軟骨フレームのよさを見直すことともかかわってくるようにも思えます。

現在は、大江橋クリニックでは軟骨フレームの作成を行う小耳症の初回手術は行っていませんが、耳の手術にかかわりを持つ医師としては、この分野でももっと技術が進むといいなあ、と常に関心を持っています。

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わたしがマカーになったわけ(5):ハングルトーク

漢字トーク7は、アイコンのカラー化、マルチファインダの標準化、システムフォルダの階層化など様々な意欲的な新機能が取り込まれ、それ自体は画期的なOSであった。しかし、わたしが最も待ち望んでいた「多言語環境に対応したシステム」という機能は、当初のバージョン7.0では実現されず、相変わらず「韓国語と日本語が混在したワープロ文書を作りたい!」という希望はかなえられなかった。

ちょうどその頃、ソウルで形成外科の国際学会が開かれることになり、私はこのチャンスに何とかして韓国語のシステムを手に入れようと、実に不純な動機で韓国旅行を決行した。

まだまだ実用には程遠い片言の韓国語とこれまた片言の英語で、韓国でもあまりメジャーではないMacのそれも「別売は基本的にしていない」OSだけを安く買おうというのだから、まあそれなりの苦労はしたのだが、それはこの際おいておく。

結果として私は江南(カンナム)のコンピュータショップの片隅で「展示品」として置かれていたMacに付属する「ハングルトーク7」を、その店の店員からこっそりと10万ウォンほどで手に入れることができた。(この店員は、おまけにといって韓国語版クラリスワークスやナイサスライターなど、そのマックにインストールされていた数々のソフトもフロッピーにコピーしてくれたのだが… 彼もよく分かっていなかったのか、初期設定ファイルなど、正常に動作するのに必要なファイルがコピーされていなかったため、それらの「違法コピー」は結局日本では動かなかった)

入手経路はまあなんと言うかむにゃむにゃ…ではあったが、日本に持ち帰ったのは純正版の(ただしアップグレード用)ハングルトークであったので、付属の説明書を辞書を引き引き読んで、ついに私のMacは、英語+日本語+韓国語のハイブリッドシステムという、いかにも怪しげなOSで動く、不思議なコンピュータになった。
(実はそれ以外にも、システムの中身をいじってアイコンの見た目を変えたり、さまざまな改造が加わり、クラッシュしないのが不思議なくらい危ういシステムにしてあったのだが、Macは結構柔軟性があると見えて、データを失うなどの不幸な事態には至らなかった)

もっとも、この経緯を引きずっているため、私のMacには今でもちょっとした弱点がある。

この時代に作ったファイルをいくつか開いたり編集したりした後は、システム標準のエディタを立ち上げると、なぜか標準文字入力が韓国語モードになってしまい、文字化けや挙動不審なカーソルの動きなどは再起動するまで元に戻らない。

こんなときは、馬鹿なことに非常な勢力と膨大な時間をつぎ込んだことをちょっと後悔するのである。

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