形成外科

眼瞼下垂症手術と私 シリーズ2 (2)

この手術を始めた頃は、重瞼ラインを決めるのに椅子に座ってもらって、ブジーという金属棒で瞼を押し上げてこれくらいかなと印をつけていました。

一重まぶたの人は、座って正面を向いてもらった時の瞼の折り返しのライン(一番下に下がったところ)が本来の重瞼ライン(眼瞼挙筋の末端が付着して奥に引っ張るべきところ)であることが多く、従ってそのラインを切開すると自然なラインができるのですが、あとは広めか狭目かご希望に従ってそれを基準に1ミリずつ上げ下げするわけです。
後天性眼瞼下垂で二重のラインが何本にもなった人は、そのラインのうちから最も自然なラインになりそうなところを切開線に選ぶのですが、そのうちこの何本ものラインの出来方になんとなく法則性があることがわかってきました。
こうして多くの方の瞼を触ってはみているうち、少なくとも日本人(東洋人?)の瞼であれば、このポイントを外さなければ自然になりそうだという計測の仕方がわかってきて、今では手術ベッドに寝たままでもラインを綺麗に決められるようになりました。
目頭の切り始めの位置だけは、いわゆる平行二重にするか末広型にするかのポイントなので少し「好み」で位置を変えたりできますが、そこから目尻に流れる曲線はほとんどの場合「生まれつき決まっている」といっても良い皮膚の構造の境目があり、そのラインを外さないようになめらかに線を引いていくと自然に目尻側の切り終わりも決まります。
もちろん、美容的な目的でわざとそのラインから外して切ることも可能ですが、ずれるほどにやや人工的な感じがまし、いわゆる「やりましたね」という感じになるので、少なくとも大江橋クリニックにおいでになる患者さんには積極的にはお勧めしません。
特に男性の場合、あまりはっきりした二重まぶたは好まれない方が多く、この自然に決まるラインから外すことはほとんどありません。それでも、術後にはやや「可愛らしい」というか「優しい」感じの目に仕上がることが多いです。患者さんには、もともとこういう感じになるべき目だったんですよ、とご説明しています。

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眼瞼下垂症手術と私 シリーズ2 (1)

以前眼瞼下垂について書いてから6年余りが経ちました。
私なりに経験も積み、徐々に考え方も手術法も変わってきたので、そろそろ現時点で思っていることなどをまとめてみようと思います。

6年前と比べて眼瞼下垂の手術を行う施設が格段に増え、またそれに伴って術式も多様化してきました。その中で特徴的なのは、重瞼埋没法に似た切らない眼瞼下垂手術と眉下切開による皮膚切除を合わせて行う術式でしょう。
私はそれなりの理由があって、どちらの術式も積極的には行いませんが、患者さんの問い合わせは多々あります。
個人的には、重瞼ラインの決め方と皮膚切除量の定量法が以前とは変わりました。それに伴って、術前に椅子に座ってもらってラインを決めたり、術中に起き上がってもらったりする必要がなくなり、腱膜を瞼板に固定したときに1、2度目を開けてもらい筋肉が機能していることを確認するだけで手術を終了できるようになりました。
今回のシリーズではそれらのことをまとめてみたいと思います。

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耳の形成外科(5): 耳介血腫と耳介偽嚢腫

事故やスポーツなどで耳を打撲すると、耳の軟骨の中に出血し、血が溜まって耳が変形してくることがあります。時には特にそれといった怪我の記憶がなくても、ごく軽い刺激で起こることもあるようです。

この段階であれば、溜まった血を抜き、耳を圧迫していれば元に戻ることがありますが、圧迫の期間が短かったり不適切な処置を受けていたりすると、変形が固定化してきます。
圧迫してくっつくことが期待できるのは、出血が始まってせいぜい数日の間で、その間に何もしないと出血は止まったとしても空洞の中に様々な細胞が遊走してきて袋を作り、黄色く透明なリンパ液が溜まる「偽嚢腫」に変わって行きます。

また、繰り返す出血により内部に溜まった血液が「基質化」して軟骨状になり、いわゆる柔道耳になってしまうこともあります。(柔道耳については別に書きます)

耳介軟骨は、1枚の板でできているように思えますが、実際には出血するのは表と裏の2枚の軟骨の間です。ちょうどサンドイッチの2枚のパンの間にたっぷり具を挟んだように膨らみ、内部に溜まった液体の圧力で更に広範囲まで剥がれて広がります。ですから、血を抜いたらすぐに表と裏の両側から2枚の軟骨を挟みこんで密着するようにくっつけておかないと、いつまでたっても軟骨は1枚に戻りません。通常は「ボルスター固定」といって、綿花やスポンジなどを両面から縫い付けてキルティングします。固定期間は最低でも2週間は必要で、通常の抜糸のつもりで1週間で縫いつけた糸を切ってしまうと、また再発することもあります。

「耳鼻科にいったら、しばらく強くつまんで圧迫しろといわれた」などという患者さんに出会ったことがありますが、いくらなんでも2週間指でつまんでいるのは不可能ですから、そのお医者さんは事の重大さをご存じなかったのだろうと思います。

時機を失した場合や出血が続く場合は、切開手術が必要となります。目立たないように耳の縁から切開し、まず2枚の軟骨をきれいに剥がします。出血点が見つかれば電気メスなどで丁寧に止血します。通常、そのまま2枚を合わせてもくっつかないので、両方の軟骨表面を軽く傷つけて癒着させるようにしますが、うまくいかない場合には表側の半分を切除してしまうこともあります。軟骨はやや薄くなりますが、耳が変形することはありません。

これはすでに内張りの袋ができて「偽嚢腫」となった場合も同じです。偽嚢腫の場合は袋の組織を完全に取り除かないと再発しやすいので、軟骨の切除を考えたほうが確実かもしれません。いずれも、ボルスター固定を行い完全にくっつくまで糸を外さないようにします。

変形が固定化していない場合は、この手術で完全に耳の形は元に戻ります。傷痕もまず見た目にはわかりません。放置せずにできるだけ早く処置を受けることが大切です。

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耳の形成外科(4): 立ち耳の手術

ミッキーマウスのように左右に張り出した大きな立ち耳は、欧米では悪魔の耳、動物の耳として嫌われます。したがって、耳を寝かせる手術は、私がドイツ留学中も毎週のように行われるありふれた手術でした。手術の予定表にOtapostasisと書かれているのがそれで、私も自分の普段行っている手術とどの辺が違うのか知りたくてよく覗きに行きました。

立ち耳は、アジア世界ではむしろ、愛嬌がある、可愛らしい耳として愛される傾向があり、強制的に寝かせる手術はそれほど多くは行われません。私も留学前は、左右の立ち方に差がある患者さんの片方の耳を反対側に揃える手術をするぐらいで、あまり立ち耳の手術を積極的には行っていませんでした。留学中に仲良くなったトルコ人の看護師さんは、
「ドイツ人は何でも箱に詰めたように真四角にしたがる。耳まで頭蓋骨にくっつくほどぺちゃんこにする」
と少々嫌そうにしていました。

しかし、最近では日本人の感覚もだんだん欧米化してきたのか、立ち耳の手術を希望される方が増えてきました。立ち耳は確かに耳の軟骨の形の異常ではありますが、上記のように長い間伝統的に日本文化の中で許容されてきたために、まだ「健康保険の適応手術」とは見なされておらず、そうした手術の費用も定められてはいません。したがって、大江橋クリニックでも現時点では(大きく左右差があって異様な感じがする場合等を除き)自費で手術を行っています。

耳は大雑把に言って、斜め後方45度ぐらいの角度に寝ているのがよいとされています。この角度に寝かせるためには、耳の付け根のところを切開してまず邪魔をしている組織を切除し、軟骨も軽く切開を入れて癖をつけます。切らない手術と称してこの段階を省き、糸をかけて引き寄せるだけの手術を行う所もあるようですが、耳の軟骨は非常に強い復元性と弾力があるため、糸だけで引き寄せた耳は糸が切れれば元に戻ってしまいます。ナイロン糸は丈夫なのでなかなか切れないとはいえ、糸が切れなければ今度は軟骨のほうが徐々に裂けますから、結局糸をかけただけの手術は永続性がないといえます。(これは重瞼の埋没法と似ています)

耳の後の組織を切除した上で糸を頭蓋骨の骨膜と耳の軟骨膜にかけ、二つの硬い膜を密着させて固定します。こうしておけば、いずれ膜の間に瘢痕組織ができて固まり、糸が切れても元に戻ることはなくなります。

立ち耳の場合、単に耳が起きているだけでなく、軟骨の折り込まれかたも少なく、平らに伸びていることが多いので、これを整えるには軟骨の表面に、曲げたい方向に合わせて軽くメスを入れていきます。通常は「対耳輪」と呼ばれるY字型の山脈を作っていくのですが、この際には、耳介軟骨は浅く切開すると切開したほうを凸にして膨らむ、という性質を利用します。これだけでもよいのですが、より確実にはできた形を固定するために、重要なポイントを何箇所かナイロン糸で結び合わせていきます。

軟骨が「露出していれば」これはそれほど難しい作業ではありません。しかし、実際には耳の軟骨は皮膚に覆われているので、切開する前に皮膚と軟骨を剥がさなければならないことになり、これをどの程度、どのような皮膚切開から行うかが結果を左右します。
以前は皮膚切開は耳の裏側だけにとどめ、そこからみかんの皮をむくように皮膚を軟骨から全部剥がしてしまっていましたが、この方法だと形はきちんと作れるものの、腫れが長引き出血の危険も大きいので、最近では耳の表面の目立たない部分も切開して、なるべく侵襲の小さい手術を心がけています。

耳が頭蓋骨につくほどぺったりと寝かせてしまうヨーロッパ式の手術はむしろ簡単で、斜め45度の微妙な角度をうまく作り出して不自然さをなくすところにこの手術の難しさがあります。一度の手術では左右がきれいに揃わないことも残念ながら皆無ではありません。そうした場合は再手術の時期をご相談しながら、できる限りご希望に近づけるように努力しています。

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耳の形成外科: 小耳症(3)永田先生のこと

小耳症の話をするとき、永田先生の手術を避けては通れないでしょう。永田先生の創る耳は、本当にきれいな形で、細部までよく考えられた立派な作品です。
永田先生の軟骨フレームは耳たぶや耳珠まで丁寧に彫刻されており、芸術作品といってもよいくらいです。その手術も、耳起こしまで含めて大変見事なものです。しかし…

その考え方は、私が最初に習った一色先生の耳つくりとは対極にあるような気がします。うまくいえないのですが、あえてこんな言い方をしてみました。
「確かに耳はすばらしくよくできている。耳を創る手術なのだから、耳が美しく出来上がっていることが一番重要で、そうした意味では最高点を付けてもよい。だが、耳にこだわりすぎるあまり、全体のバランスを見失ってはいないか。耳のためにこれだけの大掛かりな手術を行うことが果たして無条件でよいことなのか。耳は確かに人の見た目にとって必要なものではあるが、考えようによっては、たかが耳ではないか」

永田先生とお会いしたことは一度しかありません。ドイツ留学中に出席したヨーロッパ形成外科学会で招待講演をされたときのことだったと思います。講演自体非常に質の高いものでしたし、質疑応答のとき間違いがあってはいけないとのご配慮からか通訳を付けて日本語で受け答えされていたのも、潔い態度だと感心しました。
そのとき永田先生が「もう僕は日本の学界に未練はない。日本の学界は見捨てた」とおっしゃっていたのをよく覚えています。

ではなぜ、海外でも高い評価を受けている永田先生の手術が、なかなか日本では評価されなかったのか。(もちろん現在ではそんなことはないのでしょうが)

一つには、永田先生が並み居る日本の「小耳症の大家」たちの手術を「永田の手術の足元にも及ばないもの」と切って捨てたからでしょう。新しい術式が考え出されるときは、既存の術式の欠点を除き、より完成度の高いものをめざす訳ですから、こうした「高慢さ」はある程度許されるべきだし、また自分が世界一と思わなければ競争の激しい世界では生き残れないのも事実です。ですが、永田先生の手術が彼の意に反して高い評価を受けなかったのは、永田先生ご自信が嘆いておられたように彼が日本の学界に理解されなかった、のではなく、実は彼が「日本における標準的な小耳症手術の考え方」を理解できなかったからではないでしょうか。

永田先生の手術が欧米で高い評価を受けるのも当然なら、日本で苦労なさったのも当然だと私には思えます。日本の文化においては、耳の形のバリエーションには寛容で、耳は完全な形であることを要求されません。(それが、立ち耳もスタール耳も悪魔の耳といって忌み嫌う欧米との文化的な違いです)

日本ではむしろ「たかが耳」のために体の他の部位を傷つけることには消極的で、もしやむを得ないならできるだけ簡素で侵襲の小さい形で行うべきだとする考え方が主流なのではないでしょうか。(これは他の部分の再建や美容手術にも通ずることです)

もちろん、不完全な手術を受けてそのせいで悩んでおられる方にとっては永田先生は神様のような存在でしょうし、彼のような「耳つくりの職人」の存在こそが、小耳症の手術を発展させるためには必要不可欠であることは確かです。

しかし、彼が日本で長い間不遇であったのは、学会の重鎮たちが不当に彼の業績を無視したからではなく、彼が日本の長い間の伝統的な文化になじめなかったのではないか、という方向から、考察を加えてみました。

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耳の形成外科: 小耳症の手術(2)

小耳症の手術は、肋軟骨フレームを移植して終わりではありません。フレームと皮膚が十分なじんだ頃に、通常は耳起こしとよばれる手術を行います。

頭蓋骨に張り付いたようになっている耳を起こして、耳の裏側を作ってやるわけです。当然そこにはあるべき皮膚が存在しないわけなので、周囲の皮膚を動かして皮弁という方法で塞いだり、足りない部分を植皮する必要があります。(最近ではこの2段階手術を避けるため、最初に軟骨を入れる部分を袋状に膨らませておく手術も行われていますが、これはこれでまた、皮膚がちょうどよく伸びるまで数ヶ月の時間がかかります)

中には耳に当たる部分にも髪の毛が生えているために、作った耳に毛が生えて困る、といった方もいて、脱毛処理が必要になったり、軟骨や皮膚のつなぎ目の一部がトラブルを起こして小さな修理が必要になったりと、やはりどんなに上手な先生が作った耳でも、神様が作った自然な耳にはかないません。

また肋軟骨は、耳の軟骨とは性質が違い、硬くてもろく、継続的な力が加わると変形したり吸収されてしまうという欠点もあります。そのため、自然な耳よりもしっかりと分厚いフレームが必要になり、やや肉厚で硬い耳になってしまいます。これを避けるには、やはり肋軟骨ではなく耳の軟骨を使うほうがいいのですが、まだ日本では「他人から軟骨を貰う」同種移植は普及していません。

幸い耳介軟骨は移植に際して免疫反応が起こりにくく、他人の軟骨でもちゃんと自分の耳のフレームになってくれます。生体からの耳介軟骨移植では、小耳症ではありませんが冨士森先生が母親から子供への移植を以前から成功させておられ、長期にわたって安定的に生着することを学会でも発表されています。(…発表したのは、当時冨士森先生のところに在籍していた私なので、よく覚えています…)

シリコンなどの人工物では不安が伴う以上、自分の「幹細胞」で軟骨が思い通りの形に作れるようになるまでは、死体からの耳介軟骨移植などを移植医療としてもっと普及させてもいいのではないかと思うこのごろです。

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耳の形成外科: 小耳症の手術(1)

最初に小耳症の手術に入ったのは、研修医1年目、京大の形成外科に所属していた頃のことでした。執刀医は一色先生で、耳つくりに使う肋軟骨の採取を、伊波先生(現:クリニカいなみ)と一緒にやらせてもらったように記憶しています。

京大形成外科は、昭和52年に当時二つに分かれていた「耳鼻科形成」と「皮膚科形成」が一緒になって誕生した教室で、初代教授は耳鼻科出身の一色先生(現:一色クリニック)でしたから、当然耳や鼻の手術を受ける患者さんが非常に多く、当時の西日本の小耳症の患者さんの大部分が京大に集まってきたのではないかと思えるほど、耳の手術は次から次にありました。

小耳症とはご存知の方も多いと思いますが、片方の耳が極端に小さい状態を言います。場合によっては痕跡的で耳の穴もないような重症な患者さんもいます。一色先生の耳作りは当時から有名でしたが、その特徴を一言で言えば、肋軟骨から作る耳のフレームが簡素なことではないでしょうか。

それは、言葉を換えれば、採取する肋軟骨の量が少なくて済み、手術時間も短く、患者さんへの侵襲が小さいということでもあるように思います。現在はより多くの軟骨を取れるだけとって、組み合わせて細かい部分まで作りこんだ軟骨フレームがはやっているようですが、それに要する時間や患者さんへの負担を考えると、どちらがよいかはなかなか難しい問題だと思います。

肋軟骨を採取してフレームを作るには、耳の大きさがある程度大人に近づき、軟骨がまだ大人の様には固くなっていない、若い患者さんが最適なのですが、その時期のお子さんは非常にセンシティブでもあり、耳のためにどの程度体のほかの部分に負担をかけるかについては、単に手術のしやすさだけでなく、精神的な要素やその患者さんの生活歴なども考える必要があります。

それを考えると、今では廃れてしまった、シリコンの耳、というのも、体のほかの部分に傷を付けずに済むという点では、本当はなかなか捨てがたい優れた方法であるように思います。ただ、シリコンに限らず人工物は、何年たっても結局人体にとっては異物であり、何か事故があれば感染を起こして取り出さなければならない、という欠点を抱えています。

では、なぜ鼻に関してはシリコンが生き残り、多くの美容外科で今も使われているのでしょうか。
鼻に使われるプロテーゼは、形が非常にシンプルです。この辺に、耳のフレームをシリコンで作る際の工夫の余地がありそうに思います。それはまた、一色先生のシンプルな軟骨フレームのよさを見直すことともかかわってくるようにも思えます。

現在は、大江橋クリニックでは軟骨フレームの作成を行う小耳症の初回手術は行っていませんが、耳の手術にかかわりを持つ医師としては、この分野でももっと技術が進むといいなあ、と常に関心を持っています。

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眼瞼下垂症手術と私(9) 再手術

同じように見える手術でも、人により、まぶたの状態は実にさまざまです。特に再手術の場合は、(1回目の手術を他の術者が行っていた場合はなおさら)内部の瘢痕がどうなっているか、糸がどのあたりに固定されているか、など分からないことが多く難しいものです。

私は、原則的に、他の術者が行った手術の再手術はしないほうがよいと思いはじめました。
かつて症例も徐々に増えて、眼瞼下垂の手術が得意になってきた、と自信がついてきたころは、他の医者に失敗された、と悲壮な顔で診察に来る患者さんをみると、気の毒でもあり、自分ならこんな失敗はしないという思い上がりもあり、何とか救ってあげたいと再手術を気軽に引き受けていました。

しかし最近では、うまくいかないのにはうまくいかない理由があるのだと思うようになって来ました。
そもそも、眼瞼下垂の手術というのは、傷痕直しなどに比べると定型的で術式も何種類かに分類はされるものの、ある程度標準化されています。
少なくともこの手術を行っているとわざわざ広告するほどの医療機関であれば、同種の手術を数多く繰り返し行っているはずで、通常の技量を持つ医者ならとんでもないミスをするはずがないように思えます。

そうであれば、通常考えられないような結果に終わるのはなぜでしょうか。患者さんの体質や生活習慣や行動パターンの中に、医師があまり想像しないような、あらかじめ想定していないような原因が潜んでいるのではないでしょうか。

そうした原因は、初対面の短い診察時間の中では気づくことができず、術後の経過の中で初めて明らかになってくるのではないでしょうか。
それを単純に、最初の術者が下手であった、と思い込むのはとても危険なことです。むしろ、最初に手術を行った医師が、術後に何が起こったのかを考えて、思い当たる原因をできる限り排除した上で再度挑戦するほうがよい結果を生むのではないでしょうか。

そう考えて、再手術の相談に来られた患者さんには、できるだけ手を下した医師の下に帰るようにお話しすることにしています。お引き受けする場合にも、前のお医者さんから、どのような手術を行いどのような結果になったのかが分かるような紹介状をもらってくるようにお願いしています。

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眼瞼下垂症手術と私(8)

手術の数が増えてくると、必ずしも教科書的な手術では対応できない患者さんもそれなりに増えてきます。特に、過去に同様の手術を受けてうまくいかなかった人の再手術は難しいものです。

私自身は、城北病院・専売病院(現・東山武田病院)でたくさん手術を行うようになって、術式が大きく変わりました。
一つは、前にも書きましたが、寺島先生の後を引き継ぐことになって、これはいい加減なことはできないぞと、もう一度各種の手術法の文献を集めておさらいしたからでもあります。もう一つは、手術を重ねるうちに体得したコツのようなもの、他の先生方が執刀してうまくいっていない症例などを通して、「なぜ今までの術式ではうまくいかないことがあるのか」がだんだんつかめてきたからです。

現在は、私の手術はほぼ全例、帝京大学の久保田先生の術式に似た眼瞼挙筋短縮前転法で行っています。(但しいくつかの点で考え方の違いもあり、正確には今までいろいろな先生に教えていただいた方法のミックスともいえる術式になっています。)

結膜には意図的には穴を開けません(したがって、角膜保護板や挙筋クランプなどの特殊器具は一切使いません。)
横走靭帯は(再手術などですでに切断されている場合を除き)切断しません。ミュラー筋は切除しません(切断はします。)
先天性の場合を除き、結膜の剥離は約1センチ幅に留めています。
眼窩隔膜は眼瞼挙筋腱膜との折り返し点付近で切開しますが、脂肪の切除は原則として行いません。
筋膜断端と瞼板とは通常3箇所固定します。
皮膚切除はほぼ全例行います。
眼輪筋は切除する皮膚幅の半分程度切除します。
筋肉の短縮前転量は、後天性で挙筋の機能障害がない場合は8ミリと決めています。(6ミリ短縮2ミリ前転)

最近は術中・術後の点滴、テーピング、内服薬などの工夫によって、術後の腫れも極めて軽微にできるようになりました。テープは3日間貼っていただきますが、洗顔は翌日からしてもらっています。
抜糸は1週間後ですが、テープを外してしまうと何も貼らずに外出されてもさして奇異な感じはしない程度です。

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眼瞼下垂症手術と私(7)

2005年には、KBS京都放送のラジオ番組でまぶた外来についてお話しする機会も与えられ、その年の年末に城北病院を退職するまで、城北病院のまぶた外来は続きました。
その間、当時の同僚であった岩城先生(長岡京のいわきクリニック)や近藤先生(神戸市北区の甲北病院)にも手術についてもらい、岩城先生が独立開業されてからは、専売病院の方の手術は近藤先生に代わっていただいて、自分の手術は城北病院で行うスタイルになりました。

当時、京都市内で眼瞼下垂の手術を数多く行っていたのは、これも城北病院から独立開業された鈴木晴恵先生(京都・鈴木形成外科)、京都府立医大眼科形成と城北病院の3ヶ所ぐらいではなかったかと思います。

鈴木先生は城北時代はあまり眼瞼下垂の手術は行っておられなかったようですが、信州大学の松尾先生に習われた術式をマスターされたとのことで、独立されてからは松尾式の眼瞼下垂手術で有名になり、今も多くの患者さんが訪れているようです。
私はちょうど先生がお辞めになるのと入れ替わりに城北病院に勤務することになったので、実際に鈴木先生がどのような手術をされるのか拝見したことはないのですが、各クリニックを相談に回っている患者さんや、別件で私の診察を受けられた患者さんなどを見る限り、丁寧な手術をされているようにお見受けしております。

最近では、このほかにも眼瞼下垂の手術を手がけられるドクターが非常に増えてきました。後天性のいわゆる老人性やコンタクトレンズ性といわれる患者さんを含めると、患者さんの数は非常に多いので(松尾先生の説によれば日本人の7割は眼瞼下垂とか)、多くのドクターが競い合うことで技術が高まっていけばいいなあと思っています。

患者さんのほうも、ネット情報に振り回されて一人の医者に集中するのではなく、お近くのお医者さんに行ってみればいいのに、と思います。どの先生も真剣に勉強してそれぞれに技術を磨いていらっしゃると思います。

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